三田尻病院の沿革
|
昭和26年 |
1月 |
|
財団医療法人としての寄付行為履行 |
|
|
3月 |
|
医療法人神徳会三田尻病院に改組 |
|
昭和54年 |
10月 |
|
CT設置 |
|
昭和61年 |
5月 |
|
管理棟新築 |
|
平成元年 |
3月 |
|
中央病棟新築 |
|
平成2年 |
3月 |
|
東病棟改築 |
|
|
|
|
歯科(小児・矯正)の設置 |
|
平成3年 |
3月 |
|
西病棟改築 |
|
平成5年 |
4月 |
|
脳神経外科設置 |
|
平成6年 |
4月 |
|
防府高校看護科実習指定病院 泌尿器科設置 |
|
|
11月 |
|
健診センター完成 |
|
|
12月 |
|
MRI(1.5テスラ)設置
心血管造影装置設置 腎センター開設 |
|
平成10年 |
3月 |
|
看護婦宿舎新築 |
|
|
4月 |
|
眼科設置 |
|
平成12年 |
9月 |
|
中央病棟増築工事完成 |
|
|
|
|
厨房、集中治療室、手術室同時完成 |
三田尻病院の歩み
|
当院の発足は、明治16年、田村一人が県立華浦医学校を卒業後、向島に開業したに始まる。
その後神徳姓を継ぎ、自然堂医院を継承、明治23年毛利別邸の西広小路に自然堂医院を移転した。
彼は明治17年より廃止されていた毛利本藩の医業を伝承した県立華浦医学校付属三田尻病院の再建を
念願し、明治31年現在地に私立三田尻病院を開設した。
大正3年、公務多忙のため、大阪回生病院より村上春輔医学博士を院長として招いたが、大正7年、
再び院長となり地域社会の医療福祉に努めた。
昭和4年、嗣子神徳達也が院長となり、支那事変に続く第二次世界大戦の勃発と敗戦、
さらに戦後の混乱と困窮の中病院経営に努めた。
|
|